生命保険はじめました
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ボクは学生時代、歴史の授業があまり好きではなかった。前にもちょっと書いたが、ロンドンの小学校時代の歴史の授業は、絵を描いたり、仮装してお城に行ったりと、ワクワクさせられたものだったのだが、中学で日本に帰ってくると、無味乾燥な年号や人名、コトバを覚えさせられるばかり。大抵クラスに一人は歴史オタクみたいな人間がいるものだが、彼を見て、何が楽しいの?と思っていた。
歴史という分野を「見直す」ようになったのは、意外にも大学入試がきっかけだったかも知れない。東大の歴史の入試は、大きな流れやテーマについて書かせる論述問題が、4問あるだけ。 例えば、2004年の問題: ********** 第3問 (蝦夷地に関する基本的な資料を読ませた上で) 18世紀中ごろまでには、蝦夷地は幕藩体制にとって、なくてはならない地域となっていた。それはどのような意味においてだろうか。生産や流通、および長崎貿易との関係を中心に、6行以内で説明しなさい。 第4問 地租改正と農地改革は、近代日本における土地制度の二大改革であった。これらによって、土地制度はそれぞれどのように改革されたのか、あわせて6行以内で説明しなさい。 ********** 細かい知識を問うのではなく、社会・制度が大きな意味でどう変化していったのかの理解を問う、良問だと思う。このような問いかけと触れて初めて、個別のパーツパーツを暗記するのではなく、大きな流れを考えるということを意識したような気がする。とかく非難されがちな「東大」「入試」だが、なかにはいいモノもあるのだ。 レキシを学ぶ目的は、おおざっぱに言うと「過去から学ぶ」ということなのだろうが、これには二つの意味があると思う。一つは、長い、雄大な人類の歴史のなかで、変わらず繰り返される大きな流れを理解するため。もう一つは、現在に繋がるまでの連続的な系譜を学び、我々が今住む世界や、社会・制度がどのように生まれたかを、理解するため。後者は進化を示す、未来へ向かって進んでいく直線であり、前者は一つの軸を中心に振動する、振り子のようなイメージ。 一点目については、「人間って、本当に何千年と変わらないんだなぁ」と思わされることが多い。「バブルの歴史」を読めば、17世紀のチューリップ恐慌からネットバブルまで、何度起こっても、「今回は違う」と信じてしまう愚かな我々の姿が浮かび上がる。インドのシリコンバレー、バンガローに出張の帰りに、元上司のダン・フジイ@ラフィアキャピタルが、かつて言っていた。インドすごいよ。すごいけど、あそこで行なわれているのは、大陸を越えて労働力・賃金のアービトラージを行なっているだけで、人間、何百年ってやってることカワラナイと思ったよ。 先日授業で20世紀初頭に粉飾会計で破綻したスウェーデンの会社を見ていったのだが、破綻直前までの世間のもてはやしぶりは、エンロンやLTCMのそれとまったく同じだった(100年経っても、米国資本主義ですら進化していないのだ)。あるいは、ローマ時代、最高の詩人と言われたCatallusが書いた恋の詩、atque amemus (poem 5)を読めば、2000年も前の若者たちと、あの娘に切なく甘い思いを寄せる自分の姿と重なる(これは歴史と関係ないか)。 ボクの歴史観(というほど大げさなものではないが)の一つとして、「振り子は大きく触れると、ゆっくり元に戻る」という考えがある。911直前には、世界中の民主化と経済の急速なグローバル化に伴い、もう大きな戦争は起こらない、politics do not matter、そんな風潮があったように思える。欧米の新聞は、経済の話が一辺倒であり、今から思えばどうでもいいような些細なことばかりを議論していた(9月10日くらいは、なんか遺伝子工学への予算拡大をブッシュが認める認めないとか、そんな話題だったように記憶している)。それが、あの出来事で一気に再び政治(あるいは軍事)の重要性が戻った。ずっと続かないんだ、パックス・アメリカーナは。基軸通貨としてのドルも一人勝ちと見られていたが、徐々に欧州ユーロにも力が戻り(?)つつあるように思えるし。 二点目は、「今の世界がどうやってできたか」、その発展の経緯を理解すること。ウェストファリア条約が国際政治に与えた影響ももちろん重要なのだが、MBA的にはより最近の、戦後の経済史が気になる。例えば、HBSに来て気がついたのだが、我々日本人学生は80年代の日本企業の活躍ぶりについて、意外とよく知らない(強かった、ということ以外は)。あるいは、そもそも戦後以降の経済復興や、その過程で企業が果たしてきた役割について、きちんと学んでいない。これらを知らずに、どうしてこれからの日本企業について語れるだろうか?日本経済の歴史などは大学で必修科目にすべきなのだが、きちんと学ばないまま大学を卒業して働き始めることが多いように思える。 あるいは、我々の親が生きた時代、ミニスカートやロンゲが流行っていた時代、それはテレビの懐かしの場面で見ることはあっても、歴史としては、授業の最後の日にさっと時間切れで終わったように思える。自分の両親が生きた時代、彼らの歴史を知ることなく、どうして自分自身のことを知ることができるだろうか?急にアツクなっているのは、最近、(次世代への)「教育」というものを特に意識しているから。暗記重視の日本の歴史教育の仕方では、大切な歴史に興味を持たず、今の自分たちがどうやって生まれたのか、知ることがないまま学校を卒業していってしまう! 教育について印象に残っているのは、先ほども紹介したダン・フジイの言葉。彼は息子にどう教育するか、以下のように語っていた。初めて雪が降った日は、一緒に雪ダルマを作る子供のお話を絵本で見て、それからまるっきり同じストーリーを一緒に再現した。同じように、歴史を教えるなら、ギリシャのパルテノンだとか、エジプトのピラミッドだとか、一緒に写真集を眺めた上で、実物を見に連れていってあげたい。できるだけ多くのものを。壮大なスケールの建造物を目の当たりにし、その空気を吸って初めて、壮大なスケールのレキシを理解することができるのだから。 ちなみにボクだったら、学校の歴史は現代史から教えていく。もっと身近で、もっと現実味があるところから始めた方が、どのような変化があったのかや、どうやって今の自分たちや社会があるのかを理解することができるから。もっとも重要なのは、戦後50年の歴史ではないか。それから、少しずつ時代を遡って行く。(変化のきっかけとなった)出来事の年号よりも、何が変わったのか、なぜそれが変わったのか、ビデオを見ながら、皆で議論させる。時間切れになったら、卑弥呼やネアンデルタール人はやらなくてもいいや。レキシを学ぶ意味は、単に知的好奇心を満足させるのでも、あるいは抽象的な「教養」なるものを学ぶためではなく、いまの自分をよりよく知るためと、よりよい世界を作るための行動指針を探るためであるべきだから。
by diwase
| 2005-10-03 15:41
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