生命保険はじめました
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読んでてよだれがとまらない
********** Dへ もう何年前になるのでしょうか? 春を告げる梅花を愛でに神田明神へ行ったことがありますよね。まだ蕨のおばあちゃんが元気で、一緒に行ったのではなかったでしょうか? 折から受験シーズンでもあり、Sの合格祈願をした記憶もあります。 気が付きませんでしたが、神田明神の境内には銭形平次の墓があるそうです。平次は小説の中の人物ですが、明神下に住んでいたことになっておりますので、そんな縁で誰かが発起人となって建立したのでしょう。 神田明神から急な坂を秋葉原電脳街(昔は「電気街」と呼んでいましたが、最近はパソコンが主流となり、パソコンの中国語名の「電脳」を冠するようですね)方面に下り、左に曲がったところ、まさに明神下に黒塗りの板塀があり、そこに鰻の名店「神田川本店」あります。 江戸時代は文化2年(1805年)創業と言いますからもう200年の歴史を持つ老舗です。 当時、大根河岸とよばれ青物市場があった万世橋あたりに開店し、江戸時代にも火災に会い、太平洋戦争でも空襲で焼かれ、今の家屋は昭和27年(1952年)に建て直したものだそうです。急速に高層ビル化に見舞われている電脳街にあって、そこだけが明治・大正の雰囲気をかもし出しています。 江戸時代には鰻も庶民の食べ物、ファーストフードでした。寿司や天麩羅と同じです。ですからこれまた庶民の楽しみである落語にも良く出て来ます。端正な語り口で名人と謳われた8代目桂文楽(1971年死去)が得意とした「素人うなぎ」という演目に出て来るうなぎ職人の「金さん」のモデルは「神田川本店」の何代目だとか、言われています。何でも文楽は「神田川本店」をこよなく愛し、ことあるごとに鰻を食べに来ていたそうです。仲間を集めては義太夫を語っていた、けっして上手ではなく、店の物に無理やり聞かせる商家の大旦那を主人公とする落語・「寝床」を地で行っていたとも言われています。 また、奔放な語り口で文楽と対比されることが多い8代目志ん生(1973年死去)も叙勲記念祝宴をこの店で開いたそうです。 先日、ある祝い事があって、久しぶりに若い人たちと行って来ました。 板塀に続く木造の門をくぐって、敷石を踏んで玄関に入ると「下足番」がいます。人件費の高いこの時代に「下足番」です。 年恰好および貫禄から、僕は恐らく「先代」ではないかと読んでいますが、はて、どうなのでしょうか。 俗に「裂き3年、串打ち8年、焼き一生」と言われる世界にあって、現在の「神田川本店」の調理場を仕切っている主人は、今の方で12代目とか。 50年以上前に建てられた和風建築のこの屋敷には個室が7部屋あります。いわゆる入れ込みの大広間はありませんので、予約をしておかないと愉しめないのではないかと思われます。 僕たちが通されたのは2階の20畳ほどある大きな部屋。3人で使うのははばかれるほどです。天井が高く、柱は黒光りしています。障子はスライド式に上下出来るようになっており、小さいながらきちんと手が入った和風庭園を覗き見ることが出来るしかけです。 ここも1990年前後に良く来た店ですが、その当時は人生の大先輩ばかりが仲居さんでした。代替わりしたのでしょうか、今は若奥さん風の女性になっています。 料理は、予約時に肝焼き、白焼きと鰻重を頼んであります。若い人たちに「食欲」の度合いを尋ね、さらに鰻巻きと焼鳥を頼みました。 飲み物は生ビールからスタートし、お酒は菊正宗のみとのことでしたので、常温で頼みました。 ここでも突き出しにチーズを使った1品がありました。(「『よし梅』のねぎま鍋」参照)流行なんでしょうか。 肝焼きは数が少なく、珍しいから食べる、という感じかな。特に美味しい、ということでもありません。中華料理でも、燕の巣だとか、冬虫夏草とか、熊の手なんてのがこの類です。 焼き鳥も普通。鰻巻きと共に、酒の肴としては抜群の相性ですが。 絶品は白焼きです。ほわーとしていて、口の中で溶ける感じがたまりません。 実は、もうこの辺でお腹が一杯になってしまいました。 弱ったな、と思っているところに出てきた鰻重。 ところが入るんだな、これが。 よく女性が「デザート別腹」と言いますが、我々には「鰻重別腹」です。 たっぷりの蒲焼と、たれが程よく染みた御飯。もう、たまりません。しっかりと平らげてしまいました。 この「たれ」、家訓として「一朝、事があっても、たれだけは持って逃げろ」と言われているとかで、東京が空襲に見舞われたときも「たれ」の鍋を持って防空壕に避難した、と言われています。 仲居さんにその話をしましたところ、「そう聞いています」とのこと。そりゃーそうだ、自分で経験している世代はもう前線にはいませんよね。 海外にいて中々ホンモノに出会えないもの、それは蕎麦と鰻じゃないかな。 チャンチャン。
by diwase
| 2005-03-16 06:14
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