生命保険はじめました
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彼とはじめて話をしたのは、今から何年前のことだかはっきり覚えていない。確かなのは、ブルーノートがまだ骨董通りの右側、Smokeyなんとかというソーセージ屋さんの傍にあったあの頃だということ。開演時間よりも少しだけ早く着いて、受付の前におかれたテレビに流れる映像に見入っていた。大好きなBill Evans が、Chuck IsraelsとLarry Bunkerのトリオで、Elsaを弾いている、1960年代前半の白黒の映像。
気がつくと、一人の若い男が横に立って一緒にビデオを見ていた。僕は、とっさに話しかけていた。Evansは昔からよく聴いていましたか。彼は映像から顔を離して、丁寧に返事をしてくれる。うん、好きだったから、よく聴いていたよ。あなたのあの左手のインプロビゼーション、あれはとても独特のスタイルだと思うのですが。子供の頃からよくバッハを弾いていたから。色々と右手、左手で遊んでるうちに、左手でもインプロビゼーションができるようになったんだよね。その晩、初めて彼の演奏を生で聴いた。直接を話をしていたこともあって、何かとても身近な人の音色に聞こえた。 それから、東京に来るたびに彼のライブに行った。平日の午後、ノートPCを持って仕事を抜け出して、整理券配布時間の1時間前から階段に座って並んだ。その時間に行くと、大抵7~8番目だった。それから仕事に戻って、夜を楽しみに時間が過ぎるのを待った。彼のまん前に陣取ることができたときは、嬉しかった。PAを通じてではなく、スタンウェイの音色が直接聞こえてくる。彼の呼吸とか、タッチとかを感じることができる。二流の批評家は、エヴァンス系だとかキース系だとか、ジャズピアニストに対してしがちな安易な分類をしたりしていたけれど、彼は明らかにこれまで聴いたことがない、ジャズとコンテンポラリーなクラシックをあわせたような響きを持っていた。 NYに遊びに行くことがあって、Village Vanguardのスケジュールを確認すると、不思議と彼が出演していた。そんなことが2~3回あった。偶然?いや、きっと何かの縁があるに違いない。勝手にそう信じた。彼のCDは、リーダー作だけでなく、サイドで演奏しているものも含めて数10枚、すべて手に入れた。 一番入れ込んでいたときは、同じ週に3回聴きに行ったこともある。彼はとても誠実で、アンコールも必ず手を抜かずに演奏した。ライブが終わると、後ろのバーカウンターでバンドメンバーと一杯やりつつも、サインを求めるファン一人一人と笑顔で談笑した。サインは一度しかもらったことがないが、終わると一応話をしに行くようになった。今日の観客は、なんだかノリが悪かったですね。拍手もあまりしないし。ううん、僕はそういうのは気にならないんだ。自分の音楽を弾くだけ。 そんな風に、彼が東京を訪れる日、それは一年に一度あるかないかだったけれど、そんな日がまたやってきたある年。僕はまた、友人と4人で彼のライブを聞きに行っていた。彼のライナーノーツを読むと、彼の哲学的な趣向が、少しだけ理解できたような気がした。彼のメイルアドレスを教えてもらって、友達になろう。何がきっかけだったかは忘れてしまったが、僕はそう決めて、彼のところにいった。 マイルスの名盤、Kind of Blueのライナーノーツにエヴァンスが日本に水墨画について書いています。そこでは、アーティストはつねにspontaneous、自然発生的であることを余儀なくされる。そこにはアーティストはためらうことは許されず、うちから流れ出てくるものがそのまま作品となる。ジャズの演奏も、そうであるべきだ、という趣旨で。あなたの演奏を聴いていて、このような日本芸術を思い出しました。 つかみがよかったのか、彼は食い入ってくる。それから、いろんな話をした。築地の話、クロサワの話、文楽の話、京都の話(実は朝の築地に行ったことがないし、クロサワの映画もほとんど観たことがないけれど。。)。サインをもらいに来たファンとはちょっと違う、ということに気がついて、色々と個人的な話もしてくれる。 後ろに列ができ始めたので、この辺りで終わることにする。ところで、メイルアドレスを教えてもらえませんか。いいよ。その晩のチケットの裏に、彼は書いてくれた。ちょっと汚い字だけれど、数年前にもらったあのサインと同じ筆跡で。そこから、彼と僕とのメイルのやり取りが始まった。 なんとなく、彼には音楽の話だとか、彼の作品の話をしてもしょうがないと感じていた。そんなことなら、彼の周りにいくらでもいるだろうから。どんな話なら面白がるだろう。色々考えたあげく、日本文化の話と、経済の話、具体的には身の回りに起こっているグローバリゼーションの現象とか、その功罪についてそのときの仕事で考えたことを書いた。 こちらの読みは的中し、彼は僕のメイルにのってきた。雑誌のEconomistを普段から読んでいて、政治経済について一所懸命勉強しているようだ。だが、彼の周りにはそんなことを議論する相手がいない。彼にとって、僕はこれまで考えていたことを語る「はけ口」となったようで、長い、長いメイルを綴ってきた。意外にも、彼は世界で起こっていることをよく理解していた。日本がアメリカの政府債を購入して、低金利を支えているとか、ブッシュの戦争について思うことだとか。普段はCDで聴いていた彼とは、また別の人がいるように思えた。いや、彼との対話を続ければ続けるほど、CDの向こうから聞こえてくる音が、より人間味を持った暖かい音に聞こえてきた。余計に、その天才的な音の選び方に、身震いがした。 そんな彼とのやり取りは、半年に一度程度だった。もっとも「接近」したときは、彼のバンドメンバーと奥さん、近い友人と僕に宛てられたメイルが来たこともあった。キミみたいな知的な人と色々やり取りができて、とても楽しい、そんなお世辞を言ってもらったこともあった。2003年の2月だったように記憶している。墨田シンフォニーホールにソロコンサートに来たときは、前もって約束して、演奏が終わってから楽屋に遊びに行った。コンサートが終わって汗まみれの彼と、色々と語り合ったりもした。彼はメイルの内容をよく覚えていてくれた。思えば、ファンレターに毛が生えた程度のやり取りだったのかも知れないけど、僕にとっては最高の思い出となった。 そして、時計の針を1年半前に進めよう。先週の水曜日。たまたま、彼が近所のホテルにあるジャズラウンジに演奏しに来ることを知った。メイルを出そうと思ったが、なんだかタイミングを逸した。HBSに来るということは、彼にも伝えてあった。ハーバードは彼にとっても遠い存在なんだろう。ダイスケだったら教授陣もびっくりさせられるんじゃない、you're sure gonna give them a run for their money、確かそんな風に書いていた。 部屋が薄暗くなって、彼が入ってきた。少し痩せて、りりしくなったように思える。一曲目を奏で始めると、背筋が凍るような緊張感が走った。ボストンの郊外の小さなライブハウスでのソロ演奏というセッティングもあるのだろうけれど、彼の音は、一時期のようなやんちゃさは抜けて、聴き心地のよいものだった。それでも、少し前のアルバムに入っていたRadio Headの曲の演奏になると、熱が入った。その曲だけで、20分以上も演奏していた。CDでは少しうるさい演奏だったこの曲も、今回は現代クラシック音楽、ドヴォルザークがイメージにあるのだけれど、それとモダンジャズとロックのフュージョンといった音だった。音を聴きながらも、彼とのこれまでのやり取りを思い出していた。彼の音、一つ一つが、僕に向けられたメッセージのように感じられた。 演奏が終わってから、バーカウンターに立つ彼を訪れた。僕は髪も切って、眼鏡もかけていたので、最初は気がつかなかったようだ。あぁ、ダイスケ、ボストンにようやく来たんだね。学校はどこだったっけ。HBSだよ、忘れたのかい、と思いながらも、僕は再び彼と対話を始めた。 +++++ 彼の演奏を聴いてみたい人は、 http://www.bradmehldau.com/mehldau/media/index.html
by diwase
| 2004-10-09 11:47
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