生命保険はじめました
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日本は40年ぶりの寒さとのことだが、今年のボストンは2月に入っても本格的な冬らしい気候になることがなく、まだ自転車で学校に通うことができている。これは異常気象。薄いコートでも凍えることなく、ひんやりとした風をきりながら、晴れやかな空を見上げつつ、一日一日、この生活も終わりが近づいていると思うと、寂しい気持ちになる。
先日、学校の友人がこんなことを言っていた。なんか、今年に入ってから、皆が最初の学期のように一所懸命勉強してるよね。授業中手はじゃんじゃん上がるし、よく読みこんできている。きっと、もうこうやって学校で勉強するのは最後だから、そう思っているんだろう。その気持ち、よく分かるなー。ここまで来ると、要領よく流すだけだともったいない、目一杯勉強しよう。そう思いつつも、実際にはバタバタしていてなかなか十分に時間は取れなかったりもするのだが。 授業は4月末で終わるし、3月には1週間の春休みがあるので、実質的にはもう2ヶ月半くらいしかないのだろう。ここでは、仕事のあらゆるストレスから解放され、(翌日の予習以外は)何も心配することなく、世界中から集まった同世代の優秀なクラスメイトたちと、大切な家族友人に囲まれながら、豊かな時間を過ごすことができている。あとから振り返ると、なんて恵まれた時間だったのだろう、そう思うに違いない。 ボクはなぜだか、高校くらいのときから、その時々の儚さという感覚に非常に敏感で、いつも、この時間は過ぎ去ってしまったらもう来ない、この瞬間瞬間を大切にしなければ、そう意識してきた。年を取るごとに、残された人生が短くなってしまうことへの恐怖に似た気持ち、そういってもいいかもしれない。初めてその感覚を覚えたのは、高校1年のときに友人たちとカラオケで汗だくになって熱唱していたときであったことを記憶している。まさに青春と呼ぶに相応しいエネルギーに包まれながらも、大音量のなかでふと我に返った自分は、ああ、この時間は今にしか存在しえないんだ、そう思ってふと寂しくなったのを今でも覚えている。 そうでありながらも、矛盾するようだが、いつも自分がなんらかの過渡期にいるような気がして、次のフェーズへ進むことをばかりを考えてきた。中学のときは早く高校に行きたかったし、高校のときは、早く大学に入りたかった。大学のときは早く仕事をしたかったし、社会人になってからも、常に自分は将来の何か大きなことのために助走しているかのような感覚を覚えていた。 しかし、今はじめて、次へ進まなければと焦ることなく、毎日毎日を楽しみに生きることができている気がする。それは、30を目前に控えて、自分の人生が何か(コンサルティング会社のパートナーになるとか、何か重要な地位につくとかといった)ゴールへ向けた準備期間ではなく、自分にとって豊かだと感じることができる時間をどれだけ過ごせるか、その一日一日に意味があるということに気がついたからだろうか。 ウォーレン・バフェットが、かつてHBSの学生たちにこう語った。君たちは、セックスを年を取ってからの楽しみに取っておくようなことをしてはいけない。私は自分が選んだ仕事が楽しくて楽しくてたまらず、毎日職場まで文字通りタップダンスをしながら行っている。将来の起業を目指しつつも、とりあえずは修行と思って自分が本当にやりたいと思うこととは違う職場についつい飛び込もうとしてしまう若者たちを前に、その洞察力だけで数兆円もの資産を築いた老練の投資家は、将来の漠然とした楽しみに今を犠牲にすることなく、その瞬間瞬間を自分が充実すると感じる時間を過ごすことの大切さを、彼独特のユーモアを交えて、伝えてくれたわけだ。
by diwase
| 2006-02-08 13:59
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